【ゆっくり解説】 秦王朝はどのように天下を治めたのか 二千年に及ぶ皇帝時代の始まり 【秦 春秋戦国】
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- Опубликовано: 20 янв 2025
- 秦王朝の統治の、どちらかというと明の部分について語ります。車軌先輩には申し訳なく思っています。
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皇帝、詔、朕、度量衡、通貨、文字、etc. こうしてまとめられたものをみると始皇帝が始めて(統一して)、今でも受け継がれているものがたくさんありますね。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことに……まことにありがとうございます……!!
励まし続けて下さったからこそ、ここまで来ることができました……!!!
Thanks!
ご厚意、いつも感謝しております……!
有り難きことこの上ありませぬ……!!!
本当にThank You 始皇帝 Forever秦王朝だなぁ。
この頃に作られた制度や概念政治思想などが今も生きているのだから。
秦は永遠の王朝にはならなかったけれど、始皇帝は納得してくれているんじゃないかな。
統一国家を治めるうえで度量衡、そして文字などの統一の重要性に気づきそれを実行してのける始皇帝は、やはり二、三千年に一人の傑物と言えよう。
しかし紙一重なのも確かですね。
怖い怖い怖い。
単に秦のやり方を被侵略国に押し付けただけとも言えますし、その制度も始皇帝以前に出来上がってたものですよ
動画がそう誘導してる節があるとはいえ、何千年に一人とか持ち上げすぎです
@dunsany440
たとえ大袈裟だろうが、事実には事実(それこそ殷や周しか比較対象が無い?)ですよ。
@@FREEDOM-vv3wu 事実にか
長い戦乱をおさめた王朝は秦、三国時代を制した晋、五胡十六国南北朝を制した隋、五代十国を制した宋があるけど長続きしたり統一を維持できたのは宋ぐらいであとはすぐに滅亡してますわね。
度量衡や文字の統一を数年で完了させて、その後2000年以上も影響が続くほどに定着させたのは有能すぎ。
逆バベルの塔やんけ。
秦は統一後がぐちゃぐちゃになったけどこの後の中国史の土台を作ったのが凄い
秦と漢が中国史の原点とも言える
度量衡の統一って現代でも「ヤーポン(ヤード・ポンド)〇ぶべし」って言われるぐらいだから混在するのは混乱・事故の元なんやな
それこそ先日の潜水艇事故の原因の一つがそれだという説がありますね
潜水艇の保証深度が1300メートル=4000フィートと4000メートルを間違えたという
秦王朝の度量衡や貨幣価値、文字の統一などはそれまで各国に分かれていた諸民族の融合をもたらし、それが後に漢の時代に「漢民族」というのを生み出し、さらにその後の歴代中華帝国の制度のスタンダードになった事を考えると、始皇帝の影響はやはりすさまじいですね。始皇帝が中華統一を成し遂げなかったら、中華の地は大小さまざまな国や民族が並存する今のヨーロッパみたいな感じになっていたであろうとはよく言われていますね。特に文字の統一によるある程度の言語の統一は漢民族という民族を作り出す中でかなり大きな役割を果たしたと思います。(今でも中国は北と南と大雑把な見方をしても話し言葉がかなり違うらしいし。)
しかも、始皇帝時代に生み出された諸制度は中華のみならず、時代を経て周辺の諸民族や国家(北方騎馬民族、日本、朝鮮、ベトナムなど。西洋にも影響を与えたかもしれない。)にもかなりの影響を与えていますし、そういった点では中華史のみならず、世界史にもかなりの影響を与えた事柄だと思います。
中国の場合、やろうと思えば春秋戦国または殷や周から学べたはずです。しかし大半は戦絡み、平和な統治システムが皆無という。これがオリエントなら戦乱はあっても先例があったので学べたんですよね。明らかに秦は試行錯誤だったはずです。
考えてみたら
欧州諸国が植民地の文明つぶしたとか
そういう被征服地のやり方をつぶしたのと同じことだともいえる
欧州諸国の帝国主義時代や独裁国がやっていたような少数民族や支配民族の文化を消すっていう事でもあるよね
@@スライム-k9j 欧盟统一了货币,但是他们没有能力统一文字
始皇帝の統一化政策はどれも漢文明全体として必要な政策だったけど、10年で一気にやるのは性急すぎて、求心力を保つための行幸は始皇帝自身の寿命を縮めてしまった。冒頓単于がいるからあまり時間に余裕がないが、出来れば50年スパンでじっくり導入できれば…始皇帝と大臣が優秀で勤勉すぎて未来を見すぎたというのが本当の悲劇だと思う
隋の煬帝とある意味被りますね
高句麗遠征はともかく大運河は
必要な政策でしたがそれを強行した事で滅んだ様なもんですし
統一後の短い期間に、領土を広げていたことをはじめて知りました。確かに地図を見ると南部はまだら模様になっていますね。
咸陽に一番乗りした劉邦は高らかに民衆に対し、法三章のみを宣言しましたが、実際は秦時代の多くの法律を引き継ぎました。
秦は確かに短期間で滅びましたが、後世に残した影響は多く又偉大(但し多くの人たちの犠牲があった上での事)であったと思いますね。
科挙や冊封など、後に発展拡大するのも秦があるからこそですよね。
そう考えると商鞅はマジで凄げぇ〜!!!
慣れてるからかもしれないけど、「皇帝」ってめちゃくちゃ良い称号だよなぁ
権威と重みがあって
みんな大好き宇宙大将軍とは訳が違う
始皇帝が宇宙大将軍を名乗っていたら、宇宙大将軍に権威と重みが備わっていたと思います。
@@Taka18782
ダサすぎるからその世界線はないかな😅
@@Taka18782 いやどうだろう、「朕」は皇帝の自称として定着しても、「真人」は定着しなかったように、「宇宙大将軍」は多分避けられる気がする。
侯景「宇宙大将軍はワシが育てた」
始皇帝を英訳するときには「First Emperor」じゃなくて、「First Majesty Emperor」くらいに翻訳して欲しいと思ってる。
他のゆっくりと違ってBGMがでかくないので聞き取りやすい
ひょっとして始めて海と長江を見た天子なのか・・・
とりあえず真っ先に旧斉と楚は視察したくなるよね
統一された中華という概念を生み出してくれたおかげで、その後の統一王朝が中華外へと目を向けて世界帝国化していくのは見ていて気持ちが良い
紀元前3世紀末、東アジアに現れた秦「帝国」、そして自らを始まりと名乗った男(「始皇帝」)。アレキサンダー大王が後200年は遅く生まれていたら、または支配を維持出来ていたら間違いなくアレキサンダー「皇帝」となった、またはカエサルが暗殺されなかったら大王同様に皇帝と呼ばれていたかもしれませんね。
商鞅方升(孝公18年、前344年鋳造)は、国外出展禁止の国宝に指定されてます。これは、1升=約200ml。
秦量は、陶器製も含めて20点ほど出土してるようです。二世皇帝元年のものもあり、すぐに死んじゃう李斯の名前も入ってたりします。こちらは、1/3斗=666ml(実測値630ml。不足は磨耗によるものと推測)。
サンキュー始皇帝、フォーエバー秦王朝...✨
Hi, I am your Chinese fan, could you introduce history of 北镇抚司 and 东厂?
ちょっと違うのは、統一後も相変わらず重農主義で、商業に対しては抑制策を採ってます。
市場からは租税を取り、関所で関税を取り、商人には商籍(登記)を要求しました。また、破産した商人は、労役が科せられました。
農業について言えば、土地の私有権が認められて売買が可能となり、豪農が生まれ始めました。
地物博大(緊急や例外除き、他国と貿易はしない)ですからね。
うーむ!やはり盛唐中国史動画はいいな!東洋史を学ぶ学生にとってはこういう動画が本当にありがたい。
百越討伐に参加した趙佗という人物は項羽によって秦が滅ぼされると王号を称して南越を建国するが、この王朝はおよそ百年にわたり南方に君臨し続けた…臣下の王朝の方が長引くとは、「中華」の出産はこれ程までの難産だとは始皇帝自身も思ってはいなかったであろうな。
戦国末期の綺羅星の如き秦の武将たちはどこに消えたのか・・・
大量の移住政策ができた理由は、「分異の令」によって分家させた各国の次男以降を送り込んだからですね
やりたいことをちゃんと実現出来る力エグい
まあ部下の提案もあるだろうけど
こういう動画を見ると、「もし始皇帝が中国を統一できなかったら」というIFを妄想してしまいました。
以後の中国史は勿論、世界史や日本史にも大きな影響を与えそうですね。
ヨーロッパみたいに諸国が群立していたかも知れないですね
良いか悪いかはわかりませんが
今のEUがそのif線の結果に近い気がする
百越の文化も取り上げて欲しいです
昔のマンガ項羽と劉邦が私の中国史との出会いなので始皇帝はドラクエの竜王的存在でしたが、すごい人物だったんだなとあらためて思いました
ひとりの人間が後に続く国々に影響を与え未来の方向を定める
始皇帝がいなければ中国は今でも7~8国に別れていたかもだしヨーロッパに始皇帝のような人物がいれば統一国家が生まれていたのかも
歴史っておもしろいですね
いつもいつも好奇心や知識欲を満たしてくれて感謝です
ありがとうございます
キングダムパワーで10万人いくといいですね。
今年一発目の動画で言ってた銀盾占卜待ってます。
秦王朝の統治、面白かったです。五回の巡幸の話がありましたが、考えたら凄いことですよね?
地図が出てきましたが端から端までですよね、私等が北海道とか九州旅行に行くにも費用が大変なのに?紀元前ですよね?
もう少し具体的に、日数とか行程距離、宿泊地、人員とか費用とかはどうなんでしょうか?分かったら面白いと思いますが?
残ってる肖像画とか、史記視点の始皇帝像で、キングダムの嬴政(まだ少年の頃までしか読んで無い)とまるで結びつかんのだが、トリ人間さんのほじくり返しでみると頑なに筋を通そうとする純粋さという点では通じるものがあるのかもなー😮
これは正統派鳥人間
度量衡も通貨も文字も、統一するには単に公権力が使うだけでなく「それでもローカル単位や通貨を使おうとする人々を取り締まる」ことも必要になっただろう。現代の日本でも、取引や証明に尺貫法使ったら処罰の対象になるし、社会問題になった時代もある。
馬の文字の画像Twitterでも見ました!
そして霊夢ちゃんが何言ってるかわからんってなってるところ私も何言ってるか分からんってなってました!
巡行、道も今ほど整ってないだろうし、当時の車にサスペンションなんてなかっただろうし、かなりしんどかっただろうなぁ、と想像できる!
公道の轍の統一も始皇帝の政策だったような。それにしても巡行のルートみると旧斉領をどれだけ重視していたか分かりますね。徳川幕府における薩摩みたいな位置付けだったんでしょうか
法律の力で無理やり時代を進めたんでしょうねー。力で押さえつけた分、反発も大きくなってしまって、陳勝呉広の乱に繋がった。けれど無理やり進められた分、国家として飛躍的に進化した。社員からパワハラで訴えられるけど、会社自体は成長させる、敏腕社長感がすごいですね。
秦王朝と始皇帝達のやり方を後の王朝は参考にしていったわけですが、秦王朝は参考にしたものとかあったんでしょうか。
いずれにしても初めての統一王朝、国土の規模も規格外となると決めなきゃいけないことが多すぎて、始皇帝も不老不死の薬とか探したくなりますわ。
やってることは凄いんですが、あんまり民衆を慈しんでない政策が見え隠れしてるんですよね
始皇帝はある意味すごい事をたくさんしているけど、今まで何百年も殺し合いしてきた国どうしが急に一つの国になったから、他の国々にしてみれば恨みしかないから短期間で終わってしまったと思っています
今回は歴代最多東方だったのではないか?そして流石に始皇帝回は一回で終わらないだろうと複数回に渡って解説していく感じですか。
あと今更ながら登録者9万人おめでとう鳥人間。もう2400人上積みしてるから割とあっさり10万人達成出来そうですね!
初めて武力で統一したからその恐れもあって各地域をまわって、余った人民を新しい開拓に使い、度量衡や文字や支配体制を統一し、本当に成し遂げた事が偉大すぎる。後の儒教的価値観から悪の存在として酷い存在に描かれているが、実態はもっとマシだったはず・・・?
0:01 「浙東派」に聞こえて、また璋タイムが始まったのかと思った💦
秀吉は山崎の合戦前に
決意を込めて髻を切ったと言われる人間さんの
魔理沙と霊夢はとても
バランスが良いしキャラが立ってる。匠のゆっくり遣い。
まってた
始皇帝は過酷な独裁者みたいに言われているのに、統一後に部下の大量粛清をしていないのが意外。
劉邦だったら、王翦あたりを粛清していたろうに。
文官を一斉に粛清したりはしてますよ
@@dunsany440 文官を粛正なんて極めて珍しいね。意味あるのかな?
その王翦が普通に活躍したら粛清されるから
極めて慎重に行動してたエピソードが残ってますやん
信長みたいに実は優しかったとかないない
@@flyback_2091
李斯について、自分が呟いたことが相手に伝わった
→誰が漏らしたか分からないから周囲にいた人間全部殺した と言う流れですね
言っちゃ悪いが君主がいちゃもんを付けようとしたらいくらでも付けて殺せるんだから王翦を生かした点については始皇帝は評価されていいと思うけどなあ
戦国時代、外国人間でどうやって意思疎通してたかというと、周の言語(雅言)が使われてたようです。雅言がわかるというのが中華の証です。
『戦国策』中に、鄭人は玉をブー(璞)と呼び、周人は鼠をブー(朴)と呼ぶといった話が残ってます。
『孟子』中で、楚人に斉語を学ばせるには、斉人か楚人のどっちの家庭教師のほうがいいか?という問いに対して、家庭教師1人だけいても身につかないから、斉に留学させたほうが確実ですよみたいな回答があります(斉が先進国で、楚が野蛮国だというのが背景にある)。
急進的な政策を無理を承知で推し進めたような感じがするなぁ。不老不死を求めたのもなんとなく意図がわかる
13:34 「一升200ミリリットル」と切りがいいのは偶然じゃないですか? リットルという単位は西洋由来ですし。
これよくわからない
メートル法がないはずなのに
全く同じことを思った
202ミリリットルだったものが200になったのは、むしろ技術の低さなのでは…?
巡行の何が重要かというと、始皇帝は各地で自分の業績を石に刻んだからです。
順路がわかればそこに埋まってるので、掘れば出てくるし実際出てきたのもあります。
確実な同時代史料なので、文献の修正もできるわけですね。
封禅をやろうとしたがやり方が失われており、結局我流でやった
…という逸話があった気がするのですが、誰のでしたっけ
前漢の武帝かな?
歴代王朝の儀礼とか結構オリジナルあるよね、そう言うところが好き
ムーミンもスニフに「最初に言うことが重要なんだ」と言ってたっけ
重要じゃなくて大切だったか?
三晋の文字ってかなり抽象的な記号になっていたんだな
ありがとうございます。このチャンネルはゆっくりの語り口が他の多くのチャンネルよりゆっくりなのも好きですが、ネタか多く最近はチト早口?悠久の歴史をゆっくり語ってください!
贅婿(資産がなく嫁の実家に食わせてもらう)、、、、劉邦、陳平
おそらく統一後に戦争がなくなり一時的に失業問題や治安の悪化があったのでしょうね
「皇帝は、聖智仁義にして、道理を明らめる。」(史記 秦始皇本紀?)なんて文を思い出します。ちょっと記憶が曖昧なので、ご容赦下さい。(笑)中華の頂点「皇帝」という権威を出現させた始皇帝、それだけでも後世に与えた影響は凄いと感じます。李斯が趙高に屈せずにいたら、秦は簡単に滅びなかった?なんて司馬遷は感じたんですかね。一時的な政策で行った焚書坑儒も、司馬遷には許せなかったのかもしれませんね。(笑)お話し面白かったです。長文すみません。
メートル法のない時代に200mlピッタリ
怖すぎるわ
遠く離れてるはずの秦と斉とか、燕と楚の文字が似てる気がするのは何故なんでしょう?
度量衡の統一、(その時代においては)徹底した合理主義・法治主義。見る角度によっては、フランス革命を連想する。別の角度から見ると真逆だけど。
秦ってなんかあっさり滅んだイメージがあるけど、よく考えたら始皇帝の統治期間って五代十国とか五胡十六国の下手な国より長いんだよな。
統一前の期間があるだけで。
漢もあわせてだけど、秦は特にここからその後につながる「中国」が始まったという感が強い。それ以前は儒教も一思想に過ぎなかったし、人材は母国に尽くすどころか職を求めてわりとバンバン移動するし、呪術的な要素が強かったり変わった地名や漢字が多かったり。
でも何回も綺麗に分裂もしてる。これからも起こり得る可能性が世界への影響にも関わるので中原から目が離せないね😊
ちなみに、ヨーロッパはローマ帝国の東西分裂以来、ずーっと分裂しっぱなしです。
蘇秦や張儀が数カ国の宰相を兼任してたから言語はある程度纏まってると思ってた
統一を選んだ中国と露西亜と日本、バラバラを選んだ欧州とアフリカと中東。
それぞれ事情が違うから歴史は、面白いね。もしかしたらEUは、天下統一かも知れん。
面白い動画ありがとうございます
一つだけ気になったのですが、読み上げをしない説明文は赤と黄色以外の色にしていただけると、ゆっくりを聞きながらどこは目で読んでおくべきなのか判断できて、10秒戻る回数が減りそうだと思いました。
郡県制で地方政府の行政・軍事の切り離しと監査制度まで備えたのに、どうして後年には節度使なんてものが出てきちゃったんでしょうね
18:47
今の状態とあんまり変わらない気がする…
春秋戦国時代 中国以外の 回りの国は のんびりしてたのかな?
始皇帝の巡行は、地方の現実を自分の目で見るという意味合いもある気がする。
日本の天皇も奈良に都があった頃は結構地方を回っているんだけど、京都に引き籠るようになると書類上の事と地方の現実がずれ始めて政策が的外れになっていった結果、薩摩隼人が大反乱を起こしたりしている。
始皇帝の統一間もない頃は、上辺だけ言うこと聞いて実際の仕事はさぼろうとする旧六国シンパとか多そうだし。
アケメネス朝ペルシャは、首都が(バビロン、スーサ、ペルセポリスなど他王朝の都含め)複数あり、ペルシャ王はそれらを頻発に周っては領土内の治安チェック(地元総督と面会、または密偵を放っていたとか)をしていたそうです。
日本なら後鳥羽上皇くらい(ただし熊野参拝など娯楽ばかり)しか、明治天皇まで頻繁に動いた天皇はいませんね。
秦が6国を征服し統一王朝を作ったから、
中国という概念が生まれたんでしょうね😊
もっと遡れるのでは?
6國を滅ぼした時点で新しい呼称を求めたということは中国という概念が既に成立していたと解釈出来る気がしますが🤔🤔
と言うより、
周が外地に親族や部下、古代の聖王の子孫を探し出して封地を与えたのが列国が誕生した経緯になります。
周がそのまま拡大して統一したまま王朝化しても良かったのに、ナゼか分国化させてるんですよね。
その結果、周は強大化した分国(楚や秦など)に攻められて潰されることになるんです。
なんでまた敵をわざわざ作るような事をしているのか?
舜帝・帝禹のマネをしているのかな?ってのが私の解釈です。
ただその結果、夏は商に滅ぼされ、殷は周に滅ぼされてるんですから、
その故事を参考にしなかったんかいな??とは思うんですよね。
周王朝の頃には「中国」という考えは成立していた。当時は周王朝の支配力が及んだ地域だけが「中国」とされ、そこから外れていた楚、呉、越などは「夷狄」とされていた。これらの国は他の国が形式上は周王朝を尊重し、君主の称号が「公」だった頃から「周王朝に服する謂れは無い」という意思を表してか「王」の称号を使っていた。
そういや、一帯一路ってどうなったんだろう・・・。
withパワーアップキットでときめいた私はもうダメかもわからん
これ8月あたりに10万人超えちゃう?
この動画の根拠は何に基づいてますか? 出典を概要欄に記載して欲しいです。
秦王朝は他の国とは言葉がまったく違っていたらしいとか
博浪沙での始皇帝の暗殺未遂事件は、史実なんでしょうか?
张良雇人干的
統一した途端、趙高にグチャグチャにされるからなぁ😭
改めて見直したけど。
始皇帝による統一は時間の問題みたいなとこあった(他のものが秦王であっても遅かれ早か秦が統一していた?)と思うけど、それでもここで統一したからこそ中国のあの領域で一つの国家という意識が発生したのが大きいんですかね。一般人はともかく、統治者視点では。
あの時点で統一しきれなかったら、劉邦も漢帝国という発想はなかったかもしれないし、七雄の秦・斉・楚辺りの領域が最大規模の、中華同盟とか中華連合みたいな感じになってたのかな。
梅澤美波の楊端和満たされたキングダム🤔
義務教育で習った時は「面倒くさ」しか思わなかったが、
始皇帝スゲー!!
不老不死を求めて馬鹿じゃね?って思ってたけど、そりゃ、これだけの事業をやってりゃタヒんでる暇はないよね。
中国は広すぎるからヨーロッパのように国を分割した方が治めやすいと思うんだけど、なんで統一にこだわるんだろうね。
分割したら反乱されると恐れたのでは?
黄河や長江の影響かも
歴史的には始皇帝と漢武帝がいたから、というのが答えなんだけど、じゃあなぜこの2人が出てきたかというと北に匈奴がいたから。
実質中国の3分の1しか支配できなかった劉邦が匈奴相手に屈辱的な敗北を喫したからです。
項羽「封建制で国を分割した方が治めやすいと思うんだけど・・・」
范増「・・・(豎子、ともに謀るに足らず!)」
没有统一前每年都在发生战争,统一之后两三百年发生一次战争,看看欧洲发生战争的频率
秦時代はこの世界だ〜
中華(世界)中変えてしまえばー
変えてしまえふぅわぁああああああ〜
良い悪いはともかくどのみち秦が中華全土を治め続けるのは無理だったと言うことだ。当時の人達からしてみたら制度云々よりも秦の言葉や文化や法律を押し付けられて、その地の王や貴族の家柄だった人達もいる中で秦から来た役人が土足で入り込んで威張り散らしてたら普通にムカつくだろう。
秦の時点で大変なんですからね。それを、秦を凌ぐ版図を得た唐や元は(言い方はアレですが)簡単にやりのけてましたね。
手紙→トイレットペーパー
手紙→レター
同じ漢字でも、中国と日本では意味が違う。😅
16:27 現在も通じないぞ
始皇帝「朕は死なない!この肉体は滅んでも!朕の意思を継ぐものが必ず立ち上がり、中華を統一する!!」
冒頭から正統性にしつこくこだわるところは、中国史の解説チャンネルに相応しい。しかし巡行は、単なる物見遊山ではなく、天下が統一されたことを万民に知らしめるための施策の一つだったのか、だが、それが、「男と生まれたからには、ああなりたいものだ」と憧れたり、取って代わろうとする者を生んでしまったのは皮肉だな
もし冒頓単于と戦ったらどっちの勝ちだっただろうか
劉邦はボコボコにされてしまったが
蒙恬に10万の大軍で胡を攻撃させています。胡が匈奴の可能性もあますが撃退しさらに北に追いやったらしいので秦には勝てなかった可能性はありますね。
正統派解説を中華世界の中だけでしか見られないのさみしい
その統治は以後の中国を形成する極めて重要かつ効果的な政策でしたがこの人どうも合理性とかばかり見て人の支持とか気にしないんですよね、政策自体は実は弾力的で国家を的確に統治するものでしたが支持が低く彼以後急激な政策と統治を行えかつ国家を掌握出来る人がいなかった、それが秦の崩壊につながったのでしょうか。人気も大事ということですね。
秦の始皇帝の中国全土統一後の統治、「なにぶんはじめてのことでしたので。」
始皇帝が長生きしたら日本遠征あったかもな
親の顔より見たサムネ背景
尺度ってこれが語源か。
フォーエバー秦王朝の皮肉効きすぎて草
「盛唐派」
そう言う私は
晩唐派
しぶとく生き残る唐王朝の喘ぎと呻き声を聞くと心が躍る…
日本が天皇という称号を国内で使いながら、中国にそのままいうとブチギレされるから
「(あまの)すめらみこと」という言葉を使って、あくまで日本独自の称号としてごまかしたって話好きw
でも英語は結局エンペラー…
@@FREEDOM-vv3wu 言葉とは文化であり歴史ですからね
漢字を使用する国々と英語を使用する国々では
その言葉の意味を正確に理解することは難しいものです
例えば日本語の自由と、英語のfreedomやlibertyの言葉の意味合いが違うように
18分ぐらいの郡県制等の中央集権制では皇帝は相当忙しかったろうと思う。巡幸とかできる様な状態では無かったろうと思うが、自分で作った制度を自分で蔑ろにしたのか?
Chinaって呼称がそもそも秦からだもんなぁ
秦政権にも郡国制を主張した人物がいたってのが意外。オール郡県制国家みたいなイメージあった
始皇帝が封禅を行っても、すでに泰山の「黄帝の台」は「復」の得て「器」から開放された蚩尤の脳味噌に戻って崩壊しているので、何の意味も無い…て、それは「孔子暗黒伝」の話だ…。
しかし秦の時代に字の統一がなされたとすると、諸子百家時代に書かれたとされる書物の原典問題が生じてしまうのだが。
焚書坑儒をくぐり抜け、現在にまで遺されている書物も「漢字」に翻訳される過程で、かなり歪められている可能性を考慮しなければならなくなる。
俺は中国の古代文字に詳しくはないが、当時は紙はなく、竹簡が利用されていたことぐらいは知っている。
竹という素材自体は保存性が高いが、簡単にバラバラになりやすくて、「記録」ではなく,論旨を持った「書物」として保管しておくのは,極めて難しかったハズだが…。
你说的没错,刘邦建国后专门找人把被焚毁的书重新被写了一次,和最原始的肯定有出入但流传下来的版本也是无价之宝